農業レポート
天道と人道のはざまで 20170425
天道と人道のはざまで
農園主河野遼の店長日記の中で、苗の鉢揚げが取り上げられた。
その中で、農園主と河野豊との意見の違うところがあり、皆さまの参考になるのではと思い農業レポートとして取り上げて見ました。
店長日記の中でも意見の異なるところを明記致しましたが苗の生育改良のため、燻炭を混ぜた場合とそうでない場合とで生育状況がどのように変わるか?というところです。
今日の店長日記における、「顕著な差が認められない」との発言に対して、私の方からは、「現状、差がなくなって来たのではないか?6日前にはトマトには顕著な差がみられ、トウガラシ系には顕著な差が見られなかった。従って、苗を生育させているポットの大きさに問題があるのでは?との疑問提起でした。
それには、以下の写真があります。4月19日に取った3枚の写真です。トマト、トウガラシ、ナスについて取ったものです。
左が燻炭あり、右が燻炭なしです。
トマトは顕著な差があります。
とうがらしは差がありません。
ナスは少し差があります。
以上の結果から、燻炭ありでは、すでに根がポッド内で十分に張ってしまい成長が鈍った。一方、燻炭なしはまだ余裕があり追いついてきたのではないかと考えました。
結果として、両者の苗のすぐれたものを2個ずつ取り出しより大きな5号ポッドに移植し確認することを提案しました。
ただ、まだまだ実験しなければわからないのは、これらの苗を実際の圃場に移植した時に、その根の勢いがどうなるかはやってみないとわかりません。
伸びやすい環境で育ったものが、厳しい中に置かれたとき同なるのか?この点が疑問が残ります。
さて、題目の天道と人道とは何か?
この言葉は、二宮尊徳翁の言葉で、天道とは自然の摂理、人道とは人間社会の道理・生き方を意味しております。
天道からみれば、農業では、自然農が最もそれに即しています。逆に慣行栽培、水耕栽培、遺伝子組替などは人道の最も進んだもので、収穫量・収益性重視で、短期的視点で進んでいます。その両者の中間に、自然栽培、有機栽培が位置づけられます。
ところが、限りなく時間を長期に、思考の対象を幅広くすると天道と人道は限りなく近づいてきます。
要は、その両者をどのあたりで妥協させるかと言うことになります。
今の利益を最優先に考えれば、人道の方向が強くでますし、孫子の代まで考えれば天道の方が力を得てきます。
大事なことは、1・0ではないということ。どのあたりで調整するかこの点の判断の器・力量・余裕がその判断を決めていきます。
私の短い人生経験から言えることは、経済的・社会的に余裕のある人ほど、天道に近づくことができるということだけです。ただ、この原則は国家にも通用致します。ただ、今世界が余裕を失っておりますので心配なところです。
なお、ここでの天道とは、間違っても「絶対的平和主義」にはならぬことだけは念押しさせて頂きます。それは、単純に人間の体の中を見ても解るように限りなく果てしない殺戮、死と生誕を繰り返しております。そこの事象それ自体には善悪の価値判断の入る余裕は全くありません。自分に都合が良いかどうか後から判断するだけです。この点を誤ったため、日本では戦後の自立努力を失い、結果として「尖閣問題」や「北朝鮮危機」を招いてしまったことが残念でなりません。
理念・思想は仮設を提供するだけで、これに執着すると判断を誤ってしまいます。
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