農業レポート

鳥獣対策からノアの箱舟まで

鳥の対策で有名なのは、中国で毛沢東の指導のもとで行われたスズメ狩り。スズメの食害で、農産物の被害が大きくそれを防ごうとの大英断。

何しろ、中国人民全員がスズメ狩りをやったのだからたまらない。

中国にすずめがいなくなった。

その結果、当初の目標通り穀物収量は大幅に躍進。

とはいかなかった。スズメの食べていた害虫が、スズメがいなくなったために大繁殖。結果、非常な飢饉になってしまった。

生物階層の理論を知っていれば、容易に想像できるのだが。

スズメは中位層。

イナゴなどの害虫は下位層。

中位層より下位層の方が数が多い。

中位層を痛めつけたために、下位層が爆発的に増え

結果、上位層が痛めつけられることになった次第。

人のことは笑えない。

日本でも同じことが起きている。オオカミを絶滅させたために、鹿が大繁殖。

結果、森の若木が食害を受け、森林の生態系を壊すことに。

すべての物は繋がっている。

このことを忘れてはならない。

ここには、好き嫌い・善悪の価値判断は効かない。

自然の摂理が厳然として存在している。

最近、人間は、農薬等で最も下位層の地中微生物を殺してしまった。その結果、地中の菌多様性が崩壊。その土壌から取れる野菜には、菌がいない。

その結果、都会現代人の腸には、かつて多く存在して腸のバランスをとってくれていた菌(腸内細菌)がいなくなった。

そのために、自己免疫症などの病気が多発。

その対策にと、更に衛生観念を高め、菌を殺している。

結果は後20年もすれば、解るだろう。

世界的に疫病と飢饉の到来。

残念なことだが、人類はこれを何度も経験してきた。

しかし、学んでいない。

人は災害に真摯に目を向けない。自分たちには起こらないと頭から信じている。

人の認識する時間はせいぜい50年、地球のこの手の変化は100年単位。このあたりのずれを調整できる長老がいるところはこの危機を乗り越えられるだろう。

ノアの箱舟に代表される各民族に残る災害神話は、この認識のずれが生んだ悲劇を示している。

自然の摂理の意義を学ぶことなく、自我の欲求に身をゆだねた民族の生命は、しかるべき道を取ってほろびに向かう。一個人の死と同じように。これを防ぐには何をなすべきか。その答えを示していきたい。

さて、農業の現場での経験。

鳥は、愚かのようでなかなか賢い。

種取用に植えてあった小松菜を何者かが荒らしていった。

最初は、害虫を疑ったがそうでもない。

解らないうちに半分以上食われてしまった。

ある朝、圃場に行ったら、ウグイスが食いあさっていた。

気づいたが時すでに遅し。

残っていた種はわずかに1/10。

また、小麦を植えたときも同じように荒らされていた。

早速、鳥を疑って、夕方に見に行くと

今度はスズメ。

今回は早速、翌日の早朝刈り取った。

何しろ荒らしはするが、後は残さない。

すべての業に通じるが、経験が大事。

世阿弥の言う「物数をつくせ」。

農業は1年に多くて2回しか経験できない。

だから木村先生の言われる実験が大事になる。

私どもは、零細農業者だが、実験圃場を4か所持っている。

この世界は単純な1・0ではない。

無数の組み合わせからできている。

そのためにも、仮設・検証を飽くなく繰り返すこと

手数を尽くすこと。

歴史、多くの先人の智慧を学ぶことが必要になる。

こうして早く一人前の百姓になりたいし

また育てたいと願っている。

スズメに荒らされた実験圃場:パン小麦

スズメ被害

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苗用の土作り

河野農園では、お野菜もお米も苗作りから始まります。

種を播く土も無農薬・無肥料のそれぞれの畑や田の土を使います。

粘土質の土塊をこぶし大まで崩して乾かし

何回も木槌で砕いてふるいながら「土」を取って行きます。

お野菜用の畑の土は5mm以下、お米用の田の土は3mm以下までふるいます。

土埃がひどいので防塵マスクを着用します。

こうして作った土に,培土やくん炭を混ぜた土に種を播くのです。


 

足かけ3年の基盤整備工事

 

2017年から新規に農地を借り入れしましたが、

 

残念ながら湿田で排水性も湛水性も乏しい状態のモノでした。

 

大型機械を入れても緩くて収穫を放棄するような田んぼで、私どもの持つ小さいトラクターを入れますと、泥にはまって出られなくなってしまう様な地盤の緩い土地でした。

 

給排水の配管位置がわからない。

 

あるいは機能していない。

 

法面が崩落している、漏水が著しい。

 

地面の傾斜が偏っているなど等の問題から、すぐに作付けできるような土地ではありませんでした。

 

そのため、夏場の晴れ間などを使い、こつこつと排水管の再敷設、

 

外溝の掘削、崩落法面の補修などをして、ようやく湿田を畑の圃場として利用できる形に整えました。

 

 

 

はじめはバックホーを入れるのもお腹をすってアームで移動しなければ動けないような場所でしたが、

 

少しずつ排水性を良くしながら、

 

時間と労力をかけて利用できるように改善しました。

 

 

 

中山間部の農地は大体みな同じような状態ではないでしょうか。

 

大規模な圃場整備をしてから当地では40年が経過し、

 

大規模化、機械化などの取り組みなどがあったそうですが、

 

大きい田んぼでもせいぜい23反で、のり面が高く、平野部で見られる畔を乗り越えての

 

圃場の移動などが無理な場所が多いため、農機の移動も、畦畔の草刈りの労力も平地とは全く違います。

 

そんな山間部ですが、

 

地道にコツコツと取り組んでおります。

BEFORE

工事前

 AFTER

工事後

種取り用ハウスの完成

 

18年末から新規圃場の基盤工事と並行して進めていたのが種採りハウスの建設です。

 

山が近く、周辺からの受粉の可能性も少ない場所ではあるものの、水はけの悪い死地を改良しての建設です。

 

もともと地下水位が高い場所でしたが、畝を高く盛ることで野菜が問題なく育つことは確認できていましたので、土台を作りその上に土を盛り、畝を立ててからの、建設基準の作成。

 建設開始

基盤工事に注力していたため、19年から骨格の建設をはじめました。アーチパイプを配置し、背骨となる直管を5本固定しましたが、やはり地盤が緩いため、場所により水引線より5cm沈むという状態に。

 骨格

アーチの穴に小石など詰め込んで固定してはいましたが、建設を進めて鉄管の骨がそれぞれ組み合わさると重さもそれなりになります。勝手に沈みます。

 

ということで丸太を切って下鉄管と地面の間にかませてジャッキアップ。これで下がりすぎることはなくなりました。一通りの骨組みを組むのは終えて、19年の秋に聖護院蕪の種を撒き、骨組みだけのハウス内で栽培開始です。

 聖護院蕪

20年の1月に入り妻面の建設も終えて、本格的にビニールや防虫ネットの展張となるのですが、綾部では3月に岸焼という川岸や農道・畔などの冬の枯れ草を焼き払う行事があります。

 

山が近いので結構な法面があり、毎年焼くのですが、ビニールハウスにとっては火の粉が飛んで触れると穴の原因になります。今年は雨のため中止になりましたが、当日の天気によるので、中止か岸焼が終わるまでビニールは張れませんでした。そうこうしているうちに無事に育った聖護院蕪は花芽を伸ばし始めます。あまり大きいとは言えませんが霜にも虫にも負けなかった、形の良いものを残して間引き、選抜をします。

 

1月には防虫ネットを張り、岸焼中止後に天井ビニールを張り、急ピッチでハウス外観を建設。無事開花までには扉もついて建設が終わりました。今は開花してくる菜花にひたすら受粉作業をしています。

完成 

今年から夏野菜の一部も植え付けをし、交雑の心配が低いものを種採りしていく予定です。

 

  



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綾部市に移り住んではや6年、木村秋則式自然栽培に学び、無肥料・無農薬での栽培を行っております。
4年間土作りに取組み、まだまだ田んぼの土ですが、そんな中で頑張って根を張り、一生懸命育ったお野菜をご提供しております。
永続可能で環境負荷の低い自然栽培で育った、自然の深い味わいと、変化をお楽しみ頂ければ、幸いです。
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