店長ご挨拶

鉢上げ

河野農園主・店長河野遼の日記20170424 鉢上げ


ポケット発芽させた種をセルトレーに植え替えてからおよそ20日、漸くポットへ鉢上げです。


今年は育苗の土に半分燻炭を加えたものと、従来のものとを比較をする試みをしております。

燻炭を入れたのは、育苗中、土壌の通気性と排水保水性をバランスよく確保できるようにとの狙いですが、今の所、個体差程度の違いしかなく、なんとも言えぬ状態です。※

ただ、燻炭を混ぜると一ポット辺りの重量は軽くなり、運搬の際に僅かですが楽になります。


(※ これについては、河野豊は異論があります。現在使用している3号ポッドの大きさが、燻炭ありの苗にとっては根張の限界点にすでに達し、燻炭なしの苗が後から追いついて来たとも考えられます。従って、3号ポットではなく4号や5号のより大きなポットに移植して比較する必要があると考えております。何しろ土の中の状態が見えない、抜いてみないと解らないものですから。)


当農園の土は元が田んぼですので、粘土質で粒子が細かく、雨が降って

水を吸うと溶けて引っ付いてしまい、通気性の良い団粒構造を維持し辛いのです。

また、保水性が高く、多雨の綾部の地では逆に根腐れを起こしてしまいます。

(人間が、濡れたシャツを着つづけると風邪をひいて病気になってしまうのと同じです。)


燻炭を加えていない過去の状況では、育苗期間を終えて露地に定植する時に

ポットの土が固まってしまっており、定植後の根張りがよくありませんでした。

それでも頑張って野菜は育ってくれてはおりますが、野菜の苦労が忍びないのと、

生育が悪いため収量も下がってしまいます。

自然栽培は無肥料・無農薬ですから、肥料で生育を補助できません。

野菜にとって伸び伸びと根を伸ばし、土壌中の微生物と共生し、

適度な栄養や水を自ら取れるよう、生育し易い環境を整えてあげることが大事です。


ただ、どこまで手助けできるのか?ここの判別が難しくも重要なところです。

(このあたりは、子育てと同じですね。なんでも親がやってしまえば

子供は自力でのびる意欲を失ってしまいますし、次世代につなごうとする意欲も力もつきません。)


「田んぼの土を畑の土に変えるには七年掛かる。」と先人はおっしゃっていましたが、日本海側の気候、元湿田の田んぼの土を畑にするのは、生半な事ではないと思う今日この頃です。


(畑地化には「客土」と言って、よそから土も持って来るのが一般的です。また最近は強力な微生物資材を使う方法もあるのですが、それではその土地・環境に見合っての「土の再生」ができません。どこまで自然にこだわるかによって難易度は大幅に変わります。私どもは有機肥料・資材も使わずに進めておりますので、一番困難なやり方にチャレンジしております。)


しかし、年月を掛けて「自然と共に歩む」からこそ、その土地に愛着がわき、郷土愛などへとつながって行くのでしょう。

人の寿命よりも自然の流れは長く、一つ一つの草木や生き物たちがそれぞれその時その時の流れに従い、生を全うし、永続する環境を作り上げて行く。

人のように目先のことにあれこれと囚われることもなく、気を揉んで苦を生むこともなく、ただただ端然と生死を続ける姿は我々人間以上に「覚悟」ができていると思います。


これら自然栽培の野菜たちに対して「育ちが遅いなぁ」とか、「もっと実をつけてくれないかなぁ」とか思う人の心よりも、当の野菜たちの生きる姿は、真摯で、うつくしいものだと思います。


(注) ( )内は、河野豊が加筆致しました。

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苗用の土作り

河野農園では、お野菜もお米も苗作りから始まります。

種を播く土も無農薬・無肥料のそれぞれの畑や田の土を使います。

粘土質の土塊をこぶし大まで崩して乾かし

何回も木槌で砕いてふるいながら「土」を取って行きます。

お野菜用の畑の土は5mm以下、お米用の田の土は3mm以下までふるいます。

土埃がひどいので防塵マスクを着用します。

こうして作った土に,培土やくん炭を混ぜた土に種を播くのです。


 

足かけ3年の基盤整備工事

 

2017年から新規に農地を借り入れしましたが、

 

残念ながら湿田で排水性も湛水性も乏しい状態のモノでした。

 

大型機械を入れても緩くて収穫を放棄するような田んぼで、私どもの持つ小さいトラクターを入れますと、泥にはまって出られなくなってしまう様な地盤の緩い土地でした。

 

給排水の配管位置がわからない。

 

あるいは機能していない。

 

法面が崩落している、漏水が著しい。

 

地面の傾斜が偏っているなど等の問題から、すぐに作付けできるような土地ではありませんでした。

 

そのため、夏場の晴れ間などを使い、こつこつと排水管の再敷設、

 

外溝の掘削、崩落法面の補修などをして、ようやく湿田を畑の圃場として利用できる形に整えました。

 

 

 

はじめはバックホーを入れるのもお腹をすってアームで移動しなければ動けないような場所でしたが、

 

少しずつ排水性を良くしながら、

 

時間と労力をかけて利用できるように改善しました。

 

 

 

中山間部の農地は大体みな同じような状態ではないでしょうか。

 

大規模な圃場整備をしてから当地では40年が経過し、

 

大規模化、機械化などの取り組みなどがあったそうですが、

 

大きい田んぼでもせいぜい23反で、のり面が高く、平野部で見られる畔を乗り越えての

 

圃場の移動などが無理な場所が多いため、農機の移動も、畦畔の草刈りの労力も平地とは全く違います。

 

そんな山間部ですが、

 

地道にコツコツと取り組んでおります。

BEFORE

工事前

 AFTER

工事後

種取り用ハウスの完成

 

18年末から新規圃場の基盤工事と並行して進めていたのが種採りハウスの建設です。

 

山が近く、周辺からの受粉の可能性も少ない場所ではあるものの、水はけの悪い死地を改良しての建設です。

 

もともと地下水位が高い場所でしたが、畝を高く盛ることで野菜が問題なく育つことは確認できていましたので、土台を作りその上に土を盛り、畝を立ててからの、建設基準の作成。

 建設開始

基盤工事に注力していたため、19年から骨格の建設をはじめました。アーチパイプを配置し、背骨となる直管を5本固定しましたが、やはり地盤が緩いため、場所により水引線より5cm沈むという状態に。

 骨格

アーチの穴に小石など詰め込んで固定してはいましたが、建設を進めて鉄管の骨がそれぞれ組み合わさると重さもそれなりになります。勝手に沈みます。

 

ということで丸太を切って下鉄管と地面の間にかませてジャッキアップ。これで下がりすぎることはなくなりました。一通りの骨組みを組むのは終えて、19年の秋に聖護院蕪の種を撒き、骨組みだけのハウス内で栽培開始です。

 聖護院蕪

20年の1月に入り妻面の建設も終えて、本格的にビニールや防虫ネットの展張となるのですが、綾部では3月に岸焼という川岸や農道・畔などの冬の枯れ草を焼き払う行事があります。

 

山が近いので結構な法面があり、毎年焼くのですが、ビニールハウスにとっては火の粉が飛んで触れると穴の原因になります。今年は雨のため中止になりましたが、当日の天気によるので、中止か岸焼が終わるまでビニールは張れませんでした。そうこうしているうちに無事に育った聖護院蕪は花芽を伸ばし始めます。あまり大きいとは言えませんが霜にも虫にも負けなかった、形の良いものを残して間引き、選抜をします。

 

1月には防虫ネットを張り、岸焼中止後に天井ビニールを張り、急ピッチでハウス外観を建設。無事開花までには扉もついて建設が終わりました。今は開花してくる菜花にひたすら受粉作業をしています。

完成 

今年から夏野菜の一部も植え付けをし、交雑の心配が低いものを種採りしていく予定です。

 

  



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綾部市に移り住んではや6年、木村秋則式自然栽培に学び、無肥料・無農薬での栽培を行っております。
4年間土作りに取組み、まだまだ田んぼの土ですが、そんな中で頑張って根を張り、一生懸命育ったお野菜をご提供しております。
永続可能で環境負荷の低い自然栽培で育った、自然の深い味わいと、変化をお楽しみ頂ければ、幸いです。
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